ブックタイトル2019かごしま市民のひろば1月号

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概要

2019かごしま市民のひろば1月号

2019年(平成31年)1月号かごしま市民のひろば新春対談2市 長 このたびは、黄おう綬じゅ褒ほう章しょうの受章、おめでとうございます。また、鹿児島市ふるさと大使をお引き受けいただき、ありがとうございます。上柿元さん こちらこそありがとうございます。これからも気張らんか、ということだと思っています。精いっぱい頑張ります。市 長 食に関することはもちろん、鹿児島のいろいろな魅力を全国に、また世界に発信していただけると期待しています。上柿元さん 森市長も、昨年は明治維新150周年という歴史的節目の年に、大変ご活躍でしたね。県外、海外からも大勢の観光客をお迎えしたと聞きました。買い物に宿泊にと、鹿児島市を起点に県内各地にも多くの人が訪れたようですね。市 長 大河ドラマ『西せ郷ごどん』の放送も追い風になって、本市の宿泊観光客数は過去最高になる見込みです。外国人宿泊観光客数も、平成29年は35万人でしたが、30年はさらにそれを超えそうです。本市の歴史や文化、自然など多彩な魅力を国内外に広く発信できたと思います。上柿元さん 大変な好機に、森市長は市民の皆さんと一緒に大きな仕事をされましたね。市 長 節目の時に、オール鹿児島でいろいろな事業を展開できたのは、市長として光栄でした。市民の皆さんにも、あらためて郷土への誇りや愛着を持っていただく契機になったのではないでしょうか。今年も市民の皆さんとスクラムを組んで、新しい時代へのトライを目指し、力強く進んでいきたいと考えています。「泣こよか、ひっ飛べ」市 長 上柿元さんは、若いころ一人でフランスに行かれ、そこで、日本を代表するシェフとしてのご活躍につながる修行時代を過ごされていますね。言葉も分からない未知の世界に一人飛び込まれたのは大変でしたでしょう。上柿元さん 高校卒業後県外に出て、昼は大手企業の工場で働き、夜は大学に通っていました。仕事も勉強も一生懸命でしたが、ある日電車の中で見かけたのが「フランス留学」と書かれた中づり広告。白衣のフランス人シェフが格好良くて。これが、私とフランス料理との出会いでした。  仕事も大学も辞めて鹿児島に帰り、アルバイトでフランスに行くお金をためました。どんな仕事でも自分が志したら、その本家本元の国で腕を磨かなければと思ったのです。一人でパリに渡ったのは、24歳の時でした。市 長 決断したのは一人で?上柿元さん はい。かあちゃんなんか、「フランス行ってくっで。」と伝えると「えー。B29(第二次世界大戦中のアメリカの爆撃航空機)に気を付けよ。」って。でも、西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)の商店街でふんどしを10枚買って持たせてくれました。おやじは「行く以上は気張らんか。負け犬になるな。」と。市 長 フランスで頼りになる人は?上柿元さん 誰もおらんかったですよ。泣きごとを言ってためらうよりやってみようと思ったんです。「泣こかい、飛ぼかい、泣こよか、ひっ飛べ」っち、小さいころ言いよったあれですよ。市 長 私は小さいころ堤防からひっ飛んで足を骨折しました(笑)。上柿元さん がっついもぉ。でも、骨を折ったらそこは強くなりますよね。私のフランス修行時代も同じです。ひっ飛んだのはいいが、いろいろありました。でも、それを乗り越える度に強さを身に付けたと思います。市 長 言葉は大丈夫だったのですか。上柿元さん フランス料理を選んだ以上はフランス森 博上柿元 勝新春対談新しい時代に向かってトライ       泣こよか、ひっ飛べ!料理人・鹿児島市ふるさと大使1950年生まれ。鹿児島市(旧松元町)出身。1974年単身渡仏し、パリなどで修業する。帰国後はハウステンボスホテルズ常務取締役総料理長などを務める。昨年、西洋料理人として長年職務に励んだ功績で黄綬褒章を受章。鹿児島市長