ブックタイトル2018かごしま市民のひろば2月号

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概要

2018かごしま市民のひろば2月号

 かごしま水族館のイルカ水路周辺に位置する石垣。この石垣は、外洋の防衛を意識した斉彬によって、1853年に築造されました。台場には集成館で作った砲台などを並べ、海防強化が図られました。薩英戦争のときには11門もの大砲が設置され、イギリス艦隊に大きな損害を与えたそうです。                                                                                                                                                                                                      反射炉や高炉などには大量の燃料が必要でした。しかし、薩摩では燃料となる石炭が産出されなかったことから、この大型の炭窯を3基築造し、白炭(火力の強い木炭) を製造・使用していました。                             天井部分が失われていますがその大きさは高さ約3m、直径5~6mもあります。                         現在、所在が分           かっているのは           1 基のみで、              他の炭窯を見つけ           ることができたら           大発見ですよ!             「鹿児島紡績所」の技術指導のために招かれたイギリス人技師の宿舎。ふすまのように低い位置にあるドアノブは、外国人も日本人と同じように座って開け閉めをするだろうと思い込んで付けられたと考えられています。             正面中央には台形状の張り出しがあり、錦江湾越しに桜島を眺めることができます。                                                                                                         明治維新150周年や大河ドラマ『西郷どん』の放送で盛り上がる鹿児島市。ところで、どうして鹿児島市は「維新のふるさと」といわれているのか、みなさんご存知ですか?明治維新やそのころの鹿児島(薩摩藩)のことを鹿児島女子短期大学生編集サポーターの私たちが調べてきました!土・日曜日など、鹿児島中央駅や天文館エリアで活動するおもてなし隊。記念写真やハイタッチ、寸劇などのおもてなしをしてくれます!見かけたら声を掛けてみましょう♪鹿児島の風景、食、歴史や文化、そして私たちの“笑顔”の写真で、縦2m、横3mの巨大モザイクアートを制作するそうです。早速、大河ドラマ館で写真を撮って投稿してみました!1万5000枚集まり次第終了です。応募方法など詳しくは明治維新150年“維新のふるさと鹿児島市”ホームページで確認しましょう。(抽選で35人に鹿児島の特産品プレゼント♪)明治維新とは江戸幕府の体制が崩壊し、資本主義経済や議会政治などを特徴とする近代国家形成の契機となった一連の政治社会の大変革のことです。薩摩は明治維新に大きな役割を果たしました。西欧列強の強大さを理解していた第11代薩摩藩藩主の島津斉彬。いざというときに備えて産業や軍備を近代化するべく「集成館事業」を興しました。従来の慣習にとらわれず、進んで新しいことをしようとする斉彬の強い指導力があったからこそ日本を動かすほどの力を持つようになっていったのです。薩摩の技術力の高さは、外国の技師が見ても納得するほどだったそうです。薩英戦争でイギリス側に大きな被害を与え、引き分けたという結果からも、高い技術力、そして軍事力を有していたことが分かります。薩英戦争後、薩摩藩は若い藩士をイギリスに派遣します。日本の教育制度に深く関わる森有あり礼のりやサッポロビールの生みの親、村橋久成など、英国留学生はさまざまな分野で日本の近代化に貢献しました。その他、名前も知られていない人も含め、多くの人が関わり明治維新や近代化が成し遂げられたことも知っておいてほしいですね。日本初といわれるガス灯点灯実験鹿児島城下を西洋諸国のようにガス灯で輝く街にしたいと考えた斉彬。仙巌園の鶴灯籠でガス灯点灯実験を行い見事成功させました。このことに由来して、国道10号の「歴史と文化の道」にはガス灯(74灯)が設置され、周辺を温かみのある明かりで照らしています。「日の丸」の旗は斉彬の提案から日本の国旗「日の丸」。ペリー艦隊が浦賀に来航して以降、薩摩をはじめ日本各地で洋式帆船が作られるようになり、日本の船印が必要となりました。そこで、斉彬が縁起の良い「日の丸」を提案したことが始まりといわれています。日本で初めてカステラを食べた!?大河ドラマでも斉彬が食べていたカステラ。長崎名物として有名ですが、もともとはキリスト教とともに南蛮人が日本にもたらしたもの。日本で初めてカステラを食べたのは薩摩の人だったかもしれませんね。今も鹿児島には外国船がたくさんやってくる 古くから外国船が訪れる「海の玄関口」鹿児島。現在でも多くの外国クルーズ船が訪れています。やっぱり今でも「海の玄関口」!斉彬は島津家の別邸・仙巌園に近代的な工場群を建設し、・鉄やガラス・陶器・薬品・織物などの製造・艦船の建造・大砲などの武器の製造・蒸気機関・電信・写真などの技術開発など幅広く研究、製造を試みました。当時、日本は鎖国のため武器や材料などを輸入することができません。そのため、薩摩の人たちは蘭書(オランダの本)を頼りに、伝統的な技術も応用しながら反射炉(金属を溶かす設備)などを作り上げ、燃料や動力も独自のものを使用していました。九州の南端に位置し、異国船と度々遭遇する薩摩藩は、早くから西欧列強の強大さを認識しており、植民地化されないよう「強い日本をつくろう!」と日本の近代化をリードしていきました。現在も、鹿児島市には幕末から明治にかけての薩摩を感じられるスポットが残されています。「ここもだったんだ!」という3カ所をご紹介!当時、日本の最先端だった鹿児島。現在にもつながる「日本初」といわれるものをピックアップしてみました!かごしま市民のひろば編集サポーター【広報課?216-1133】【観光プロモーション課?216-1344】1時間目日本の近代化をリードした鹿児島3時間目薩摩を感じてみよう!4時間目実は鹿児島が「日本初」2時間目すごいぞ   鹿児島!!尚古集成館 学芸員山内 勇輝さん森口 知帆森口 知帆田中 ちひろ田中 ちひろ辻 愛あおい生辻 愛生薩英戦争時に桜島沖の沖小島砲台で使われた十文字砲仙巌園の鶴灯籠歴史と文化の道のガス灯渡邊 恵渡邊 恵安藤 まやの安藤 まやの市内50カ所(8種類)にある顔出しパネルも使いましょう♪ドラマ館に展示されています尚古集成館には日の丸を掲げて薩摩から江戸に赴いた昇平丸の模型が展示されていますJR鹿児島中央駅東口広場にある薩摩英国留学生17人の銅像「若き薩摩の群像」c尚古集成館島津斉彬肖像尚古集成館の反射炉の模型クイーン・エリザベス当時の薩摩は日本の最先端!すごいまちだったんですよ。薩摩は江戸や京都と比べて遅れているイメージでした…所在地吉野町9698- 1アクセスカゴシマシティビュー「仙巌園前」下車料金(名勝仙巌園と共通)大人1000円、小・中学生500円問い合わせ尚古集成館?247-1511所在地本港新町(かごしま水族館近く)アクセス市電「水族館口」下車、徒歩約8分、市営バス「水族館前」下車すぐ所在地吉野町10710-68アクセスJR鹿児島中央駅から南国交通バス(宮之浦団地線)で約35分、「三州原学園前」下車、徒歩約20分問い合わせ文化財課?227-1940所在地吉野町9685-15アクセスJR鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー「仙巌園前」下車、徒歩2分料金大人200円、小・中学生100円問い合わせ異人館?247-3401ハイタッチをするとお菓子やクーポン券をくれますいち早く近代的な文化を取り入れていた鹿児島はまさに「維新のふるさと」!もっと鹿児島のことを知りたくなりました!そもそも明治維新って…なに?   近代化を進めた島津斉なり彬あきら   外国の技師もびっくりの技術力   近代化に関わる多くの人を輩出   本を頼りに作り上げてしまった!なぜ薩摩は国を変えるほどの力を蓄えたんですか? answer!answer!「まちなかおもてなし隊」と遊んでみた! 1万5000枚の写真で作る維新のふるさと鹿児島市 巨大モザイクアートプロジェクト新しん波は止と砲台跡寺山炭すみ窯がま跡あと旧鹿児島紡績所技師館(異人館)世界文化遺産休み時間♪ようこそ尚古集成館へ!幕末や明治のころの鹿児島についてお教えします。その1その3その4 その2【明治維新150年・西郷どん推進室?803-8671】世界文化遺産尚古集成館13 知っ得情報かごしま市民のひろば知っ得情報12