ブックタイトル2017かごしま市民のひろば11月号
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2017かごしま市民のひろば11月号
龍右衛門(隆充)マサ吉兵衛小兵衛信吾(従道)安 鷹吉二郎琴イト(糸子)スガ愛加那酉三 午次郎 寅太郎菊次郎 菊子吉之助(隆盛)2017年(平成29年)11月号かごしま市民のひろば特集2大久保利通 高麗町で生まれ、まもなく下加治屋町に移り住み、西郷と一緒に郷中教育を受け育った盟友。ともに維新期のめまぐるしい政治に指導的な役割を果たしましたが、朝鮮半島への使節派遣をめぐり二人は対立。その後の西南戦争でも敵味方として戦いました。島津斉彬 集成館事業を進め、薩摩の近代化を図った名君。「私でなければ使いこなせない」と西郷を引き立て、信頼して仕事を任せました。西郷にとって斉彬との出会いは一大転機となりました。 来年はいよいよ明治維新150周年。来年1月からは大河ドラマ『西せご郷どん』の放送も始まります。 大河ドラマの放送を前に、今なお、鹿児島のみならず日本中の人々に愛される「西郷さん」の生涯を、あらためてひもときます。功績①盟友崇拝エピソード① 「 実は愛妻家」 西郷さんは、妻イトさんが作った料理をなんでもひとつひとつ褒めてくれたのだとか。イトさんはそれをとても恥ずかしがったそうです。 日常でも妻に感謝の言葉を口にする西郷さん。すてきなダンナ様ですね。エピソード② 「 おみそ汁」明治初期、弟の従道の家に世話になっていた頃、みそを入れ忘れてしまったおみそ汁だったにも関わらず、西郷さんはそれを食べて「おいしかったよ」と家の人に声をかけた。それを聞いた従道は「兄にはかなわない」と言ったという話があります。 (安川さん談)1827年下加治屋町に生まれる1830年大久保利通生まれる1844年藩の郡方書役助になる1851年島津斉彬が薩摩藩主となる集成館事業を開始1852年スガと結婚祖父 龍右衛門、父 吉兵衛、母 マサが相次いで死去1854年島津斉彬の参勤交代に従い江戸へ1856年篤姫が13代将軍徳川家定と結婚1858年島津斉彬死去安政の大獄月照とともに錦江湾へ入水。西郷のみ助かる1859年奄美大島へ愛加那と結婚1861年長男 菊次郎が生まれる1862年寺田屋騒動鹿児島へ帰るも、再び沖永良部島へ遠島処分生麦事件西郷糸子(県立図書館蔵)今だから知りたい 薩摩が生んだ西郷さん島津斉彬公像うんまかうんまか大久保利通銅像西郷隆盛肖像(県立図書館蔵)西郷隆盛関連年表西郷家の人々を紹介します薩長同盟 1866年1月21日、京都の小松帯たてわき刀邸において、坂本龍馬の仲介で、薩摩藩は小松、西郷、大久保らが、長州藩は木戸孝允が出席し、幕府による長州藩の処分問題にあたり、薩摩が長州を支援する内容の密約を結びました。これ以降、対立していた両藩の連携関係が深まり、倒幕、明治維新へ動き出します。西郷隆盛生誕の地(加治屋町)西郷従道(国立国会図書館蔵)兄 隆盛を慕い、西南戦争では薩軍の一番大隊一番小隊長として出陣しました。坂本龍馬を泊めたとき、雨漏りを心配したイトに、隆盛は「今、日本中が雨漏りしている」と語ったといわれるほど貧しかった西郷家を切り盛りしました。不在がちな兄 隆盛に代わり家を支えました。父 隆盛とともに西南戦争に従軍。その後、京都市長などを歴任しました。 西南戦争では政府軍に加わり、兄 隆盛と袂を分けました。その後、海軍大臣、内務大臣を務めました。西郷が奄美に流されたころの妻。「子どもも授かり、西郷は最も穏やかな3年間だったのでは。」(安川さん談)厳しくも温かい薩摩の女性「貧乏は恥ずかしい事ではない。恥ずかしいのは貧乏に負けることだ。」と言って西郷らを育てた母のマサ。そんな薩摩の女性と薩摩の風土が西郷さんの人柄を育てたのだと思います。西郷隆盛研究家安川 あかねさん