ブックタイトル2017かごしま市民のひろば2月号

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概要

2017かごしま市民のひろば2月号

 僕たちは、小学1年生から6年生までの30人で、週4日活動しています。僕は父に勧められて2年生のときに少年団に入りました。野球はもちろんですが、チームで地域行事に参加して、たくさんの人たちと交流することも楽しみの一つになっています。 チームは試合に負けても諦めない強さがあり、くじけずに練習を続け、昨年11月の大会で県内一位のチームに勝つことができました。この調子で今年度残り4つの大会でも好成績を収めたいです。 僕たち6年生はもうすぐ卒業しますが、チーム一丸となって練習に励み、優勝を目指して頑張れと、後輩たちにエールを送りたいと思います。学芸員オススメ!市立美術館の逸品スポーツ・文化活動に頑張る小学生を紹介!?諦めないことで強豪にも打ち勝つ?元気あふれるさつまっ子市立美術館林 学芸員城山ヤンキース軟式野球スポーツ少年団砂原 大輝 君(草牟田小6年)マークはリサイクルの目印!■ごみに4%も混じるプラスチック容器類 プラスチック容器類は、卵や豆腐のパック、食品の入っていたトレイ、洗剤のボトルなど食料品や日用品が入っていたプラスチック製の容器や袋など。本来は資源物として出さなければなりませんが、なんと家庭ごみの中に約4%、4800トン以上(推計)も混じっています。■出すときはサッと流すだけでOK!「きれいに洗えていないから」と、もやせるごみに出していませんか?固形物が取れていれば、油分が残っていてもリサイクルできるのでサッと水で流して資源物として出しましょう!左のコーナーの金襴手大花瓶も展示しています。あわせてご覧ください?薩摩焼の歴史はここから始まった? 420年もの歴史を刻む薩摩焼は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役のときに、薩摩藩主島津義弘が朝鮮半島の陶工たちを鹿児島に連れ帰ったことから始まります。 桃山時代は、茶の湯がはやり、朝?白は く釉ゆ う茶碗火ひ 計ばかり手で【市立美術館224・3400】鮮の高麗茶碗は人気があったことから、日本各地の大名は連れ帰った陶工たちに窯を開かせ茶碗を作らせました。 初期の薩摩焼は、朝鮮の陶工が来日するときに持ち込んだ陶土やうわぐすりを使い、陶器を焼く火だけ(=火ばかり)が薩摩のものであったことから「火ひ ばかりで計手」と呼ばれました。 本作は、最初期の薩摩焼といわれ、県指定文化財になっています。後に欧米諸国で好まれた金きん襴らん手で のような華やかさはありませんが、江戸前期の茶陶の流れをくむ、簡素でしなやかな形が上品な雰囲気を漂わせています。また、祖国から持ってきた土を大切に使っていた陶工たちの思いや、現在まで続く薩摩焼の歴史を語る上でも忘れてはならない一品です。プラスチック容器類の分別だけで約20gも減らせるよこのマークが目印!(付いていない物もあります)ごみマイナス  100gへの道【資源政策課 216-1290】目標達成まであと91g!!570g 561g平成27年度の平均ごみ量(1人1日当たり)平成28年1月~12月の平均ごみ量(1人1日当たり)今年はパリ万国博覧会から150周年 その② 薩摩藩は、幕府に相談することなく1867年のパリ万博への参加を決定し、1866年にはグラバー商会に依頼して約400箱の出展品をパリへ発送しました。 薩摩藩からの出展品は、泡盛酒など琉球の産物、薩摩の陶器や竹細工、たばこ、鉱石、木材など128品目にのぼりました。 なかでも薩摩焼は高い評価を受け、世界に「SATSUMA(サツマ)」の名で知られるようになりました。 薩摩藩を含め日本からの出展品は珍しがられ、瞬く間に人気となったことから、いわゆるジャポニズム(日本趣味)の契機となりました。?のまち知ってるわがまち維新【観光プロモーション課 216-1344】19世紀後半(明治時代前期)に作られた薩摩金襴手大花瓶(市立美術館蔵) 明治維新150年カウントダウン事業で今年取り上げる「パリ万博、鹿児島紡績所操業開始、異人館完成」の解説映像を鹿児島市明治維新150年カウントダウン事業ホームページに掲載しています。ぜひご覧ください。■直近1年のごみ量~マイナス100gまであと何g ?~2017年(平成29年)2月号 かごしま市民のひろば トピックス・生活情報 8