ブックタイトル2015かごしま市民のひろば1月号 鹿児島

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概要

2015かごしま市民のひろば1月号

2015年(平成27年)1月号2新春市長対談かごしま市民のひろば新春市長対談本市出身で、歌手・俳優として活躍されている、鹿児島市ふるさと大使の西郷輝彦さんと森市長が新春対談を行いました。「華々しき一族」の一場面(輝羅星倶楽部提供)1947(昭和22)年2月5日生まれ。鹿児島市出身。1964年2月「君だけを」でデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も「星のフラメンコ」、「星娘」などの大ヒットでスターダムへ。1973年に主役を務めた「どてらい男やつ」で俳優業へ。「江戸を斬る」や「独眼竜正宗」などで、役者としての地位を決定的にする。2013年2月、デビュー50周年記念曲「燃えろ夜明けまで」をリリースするとともに、全国30カ所以上のコンサートツアーを敢行。西郷輝彦さん(歌手・俳優・鹿児島市ふるさと大使)市長本日は、「かごしま市民のひろば」新春対談の機会をいただき、本当にありがとうございます。西郷さんこちらこそ、お声かけいただき、ありがとうございます。■生まれ育った谷山の思い出市長まずは、生まれ育った鹿児島の思い出をお聞かせください。西郷さん鹿児島には15歳までいました。もうはるかにこちら(東京)での生活の方が長くなりました。でも、鹿児島、特に谷山は、いつも自分の心の中にあります。野山を駆け回り、海で泳ぎ、いっぱい遊びましたよ。市長私は2歳違いですから、その頃の谷山の風景は良くわかります。西郷さんの生まれ育った田辺地区(現谷山中央八丁目)あたりは、自然がいっぱいで田んぼも多かったですね。西郷さんこの前、久しぶりに谷山に帰りましたが全然分かりませんでした。小松原の海岸は埋め立てられ、港(旧木材港)になっていました。昔、家の近くに銭湯があって、そ験場、愛の聖母園があり、さらに行くと慈眼寺、反対に行くと小松原の海岸、本当に自然に囲まれていました。市長今では区画整理も進み、まちが整然となり便利になってきています。田辺地区はほぼ区画整理が終わり、また、谷山駅周辺もJRの高架化に取り組んでいます。道路も変わってきています。西郷さん谷山街道は、当時はまだ舗装されておらず土でした。バスが通ると砂すなぼこり埃が舞い、雨が降るとぬかるみ、夏はほとんど裸足だったので、足の裏が熱かったのを覚えています。■スター誕生から現在市長そういう自然豊かな谷山の地からスターが誕生しました。西郷さんは私が15歳のときにデビューされました。当時、瀬川洋一郎さんが司会を務めていたMBCラジオ「城山スズメ」で、西郷さんの歌を聞いていました。西郷さん瀬川さんの鹿児島弁が良かったですね。私も覚えています。鹿児島弁と言えば、時々会う、東京に出てきている同級生がいるのですが、その彼から、鹿児島弁がポッと出るのです。先日もゴルフをしているとき、「つんくじった」と言ったのです。懐かしいねと二人でげらげら笑い合いました。そんなとき、鹿児島を懐かしく思い出します。鹿児島へは、公演やチャリティーなどでよく帰りますが、皆さんから「西郷さんが帰っきゃった」と言われます。本当にうれしいですね。市長鹿児島県民はみんな西郷さんを知っていますよ。郷土の大スターですから。西郷さんに対しては憧れと尊敬の念を持っています。西郷さんはずっと第一線でご活躍されていますね。その秘訣は何ですか?西郷さん〝人?です。一人では何もできない。人が助けてくれました。(芸能活動をしていく中で)もうだめだと何度も思いました。もう落ち目だなと思ったことも。最近は、あまり考えないようになりました。もういいんだ、自分なりに自分のできる範囲のことを、常に少年の心でやっていきたい、そう思うようになりました。今は、非常にいい仕事をいただいています。好きなことだからずっと頑張れます。市長はいかがですか。市長そうですね。市長職は忙しいし、土・日もありませんが、仕事が、鹿児島が、〝好き?という思いで続けています。西郷さん仕事をする上では、この〝好き?という気持ちが大事だと思います。■ふるさと大使市長鹿児島市のふるさと大使を引き続きお務めいただくことになりました。テレビなどで鹿児島のことをPRしていただいているのを私も拝見しています。私をはじめ市民の皆さんも喜んでいます。西郷さん先日、舞台「華々しき一族」の九州公演があり、博多・熊本・霧島・種子島などを回りました。博多でふるさと大使の名刺をいっぱい配りました。「こういうこと(鹿児島市のふるさと大使)をしています」とPRしながら。でも会う方、皆さん大体知っているんですよ。「配らなくても分かりますよ」とか、「〝歩く鹿児島?みたいなものだから」と言われます。■鹿児島への思い市長西郷さんは鹿児島に来られてチャリティー活動をされて、障害のある方々や家庭的に恵まれない方々に温かい志を伝えていただいています。鹿児島市の皆さんや未来を担う子どもたちに伝えたいことなどありますか?西郷さん私の若いころは、集団就職で若い人が故郷を離れ、東京や大阪などに行くものでした。そして、それぞれ自分の分野で頑張ってきました。しかし、私は若い人には鹿児島に残って何か頑張って欲しいという思いがあります。ふるさとに残って、ふるさとのために事業を起こすとか、将来、鹿児島県・市のために頑張ってくれる人がいないと困りま埋め立て前の小松原海岸の手前に大きな木が立っていました。そこでよくチャンバラごっこをしていました。ちょっと走ると谷山中学校や、農業試西郷輝彦さんSaigo Teruhiko