ブックタイトル2014かごしま市民のひろば12月号 鹿児島
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2014かごしま市民のひろば12月号
2014年(平成26年)12月号かごしま市民のひろばトピックス8知ってる?維新今から150年前の1864年に、主君に背いた罪をゆるされて沖永良部から戻ってきた、明治維新の立役者は誰でしょうか?<解説>わがまちのまち答えは西郷隆盛です。西郷隆盛は、1862年2月に一度ゆるされ奄美大島から戻ってきましたが、島津久光の命にそむいたため、同年4月、はじめに徳之島、その後沖永良部へ送られえんとうしょぶんました(遠島処分)。それから2年後の1864年2月、罪ぐんぶやくをゆるされ、京都に入り軍賦役(軍の司令官)になり、同年7月に起こった禁門の変では薩摩藩兵を指揮して、長州藩兵を撃退し、また第1次長州征伐でも参謀として活躍しました。その後は薩摩藩の中心となって活西郷隆盛躍し、明治維新を成しとげる立役者(国立国会図書館蔵)の一人となりました。【観光プロモーション課216-1344】多くの学生たちの中でも、特に異彩を【市立美術館224・3400】一方、東京美術学校で黒田が指導したの対立だったのでしょう。い師弟愛で結ばれていました。の絵画観に身を賭としていたからこそができます。この二人はとてもうるわしはずもないのですが、お互いに自ら印象派らしい瑞々しいタッチを見ることに性格も感性も違うこの二人が合う画のなかでも図版の「風景」には、最も派」を得意とした画家です。黒田の油彩も開近き代の絵あ画っのた激黒動田期とに藤ち田ょ。うおどまけ20歳印象派とアカデミズムを折せっち衷した「外光ゅうきまえず批判したそうです。代にパリで師事したラファエル・コラン。悪くしたのは黒田先生だと、場もわ黒田清輝の師匠といえば、1880「小企画展師弟の系譜」年開催期間12月21日(日)までで開かれた追悼会で、日本の洋画を藤田も、黒田が急きゅう逝したときにパリせい使っていたことが分かります。また部を見ると、時には黒田も黒い色をた。しかし、例えばこの「風景」の細画像を、悪い例だとして酷評しましめ、藤田が卒業制作に描いた黒い自ちに黒い色の使用を禁じていたたは外光派の考え方から、普段学生た2黒田清せい輝き「風景」放ったのは藤田嗣つぐ治はるでしょう。黒田市立美術館の逸品学芸員オススメ!黒田清輝は本市出身の近代洋画の巨匠です市立美術館やぐち谷口学芸員市政の動きを写真で紹介10月23日(木)~11月9日(日)11月2日(日)・3日(祝)薩摩維新ふるさと博~維新と出逢う時間旅行~期間中、明治維新当時の衣装を着た「薩摩維新おもてなし隊」によるおもてなしや、市民の皆さんが演じる芝居・郷土芸能の披露など、大いに盛り上がりました。鹿児島市制125周年・新生鹿児島市10周年記念第63回おはら祭2日は、かごしま親善大使の任命式や夜まつりが行われ、約8200人の踊り手が参加しました。3日は、秋晴れの中、約1万4800人の踊り手が元気よく踊り、パレードなども行われました。2日間で約23万人の観客が見守る中、色とりどりの衣装と息の合った踊りで、晩秋の薩摩路を鮮やかに彩りました。11月6日(木)11月7日(金)11月16日(日)札幌市でのトップセールス本市と観光・文化交流協定を締結している札幌市で、森市長がトップセールスを行いました。桜島火の島太鼓の演奏や、薩摩観光維新隊によるPRなどもデパートで行われ、多くの来場者でにぎわう中、本市の特産品や観光をアピールしました。鶴岡市との兄弟都市盟約45周年昭和44年11月7日に兄弟都市盟約を締結してから45年目のこの日、森市長を団長とする記念訪問団が鶴岡市を訪れ、今後も青少年の交流などを通じて、両市の交流の絆を一層深めることを確認しました。鹿児島市制125周年・新生鹿児島市10周年記念農林水産秋まつり・ふるさと芸能祭今年もふるさと芸能祭と同時開催された農林水産秋まつり。園芸共進会出品物の即売会や親子で楽しめる体験イベント、伝統芸能の披露などがあり、大勢の来場者でにぎわいました。