桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み

桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み page 8/18

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概要:
桜島爆発の日

かねての半分ぐらいの束を背負って休み場に休んでおりましたが、清八叔父の話によると 「犬がえしの迫あたり(三合目にある崖地)から上は崖くずれのためとても行けないので、ほんの少し切って帰って来た」と、話しておりました。 私共が野尻ノ上を通る時も小さい地震は間断なく続いている感じで、気味が悪いでした。丁度「佐さ保ほノ燃も え」という所を通行中強い地震がして、磯崎の上とみられる所から大きな石が転がり落ち、松の大木を打ち倒してゆきましたので、ますます薄気味悪く感じました。それでも五本松、土手の下など予定のコースを回り、人里近くの畑の中で休憩していると、北岳がゴウゴウと音を立てて崩れました。こんなに山が崩れると北岳は消えて無くなるのではと善吉兄等とも話しました。 一般の村人も砂糖きびの切入れをしていましたが、この山崩れと地震に不安を覚えながら仕事を続けていました。 丁度、午後六時すぎだったと思います。夕食をすませて持木海岸に出てみると、隣の湯之海岸では湯之村の人々が避難を始めていました。川上村長さんの住居は湯之海岸の近くでしたが、村長さんが浜の高台から大声で、避難しなくてもよいと叫ぶ声もよく聞こえておりました。しかし湯之の人々はその声も聞き入れず、午後十時頃までには船の殆んど九34