桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み

桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み page 7/18

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概要:
桜島爆発の日

活躍していました。仕事は火の用心と、船の海難防止と、風俗衛生や野や山の盗難の見回りなどでした。その頃は砂糖製造の時期で、青年団員が五名一組になって砂糖きびの監視をしていました。 丁度一月十一日が私達の監視番の日で、午前と午後の二回持木の上から佐保河原まで、必ず巡回する任務になっていました。私共の組頭は、川ノ上善吉兄でその時彼が二十九歳でした。善吉兄を先頭にして畑をまわる間も地震が強く揺れていました。砂糖きびの収穫に忙しく働いていた村人達はいつもと変わりない人数のようでしたが、地震のことが心配のようでした。 午前十一時頃、朝の巡回をすませて帰宅してみると、近所に住んでおられる山ノ内武市さんという大工さんが私の兄・八百蔵と地震の話をしておりました。武市さんの言われるには 「もうこんなに地震が強いのだから、横山あたりに測候所から来て調べておられるはずだ」と。八百蔵兄は役場の書記をしていましたので、測候所から桜島は危険はないとの連絡があったことなど、二人で茶を飲みながら話しておりました。私は、昼飯をすませて午後の巡回に出かけました。桜塚に行ってみると、燃脇清八叔父がノリ木切りに行ったと言って、33