桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み

桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み page 6/18

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桜島爆発の日

 時は大正三年一月十二日、旧暦では大正二年十二月十七日の午前十時すぎ、それは桜島が真二つに割れて海底に沈むのではないかと思われた日であります。その当時の模様を記憶のままここに書き残します。 大正三年一月八日、鹿児島市や桜島周辺は十四年ぶりの大雪で、実に静かな雪景色の天気でした。九日、十日と雪はだんだんと溶け、一月十日の夜半頃から強い地震が起こり始めました。 十一日の午前二時頃から、地震と共に北岳の方向からゴウゴウと雷でも落ちるような音が鳴りつづけ、とても安眠できるものではありませんでした。 書きおくれましたが、この頃の二、三年前からときどき地震はあったのです。 村の古老は地震が起こる度ごとに縁起をかつぐものでした。例えば雨が降る前に地震があれば「雨地ナ震エ」とか………天気の日のそれは「日地ナ震エ」とか、果ては吉凶の占にされるぐらい地震はよく起こるものでした。 持木海岸にある集落の共同井戸は前の年の十一月頃から水の量が減少して、干潮の時は水を汲みとるのに時間がかかると私の姉チヨマツが話しておりました。私はその年二十一歳でした。当時桜島の集落では十五歳から三十歳迄の男子は皆一人残らず青年団員として32