桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み

桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み page 17/18

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概要:
桜島爆発の日

のす、の、板にすがって泳げば浮力がつき、泳ぎやすいからです。 この燃崎の鼻から、沖小島目指して持木の人が七人泳いでいます。野元新蔵(28歳)、野添宗八(28歳)〔私の兄で五男〕、野元五市(26歳)、山元得蔵(28歳)、村川金太郎(40歳)、浜田熊助(40歳)、浜平畩五郎(39歳)ですが、この中で山元得蔵と村川金太郎は不幸にも凍死して行方不明となりました。 浜田熊助と浜平畩五郎は、九死に一生を得た思いで泳ぎ着きましたが、熊助は砂浜に立つこともできず波打ちぎわに腹這いになっている所を、沖小島に避難していた人々が火を焚いて暖め蘇生させたそうです。畩五郎は、もう足が立つだろうと泳ぎをやめて海底に立とうとしましたが、まだ深い所だったのでそのまま沈んでしまいました。浮きあがる体力がなかったのです。これも島にいた人が救助したとのことです。 若い新蔵、五市それに宗八は、元気で泳ぎついて走り上がって来たそうです。 燃崎に残っていた人のなかに、私の兄で二男の八太郎(39歳)と四男の吉太郎(30歳)がいました。吉太郎兄は弟の宗八が泳いで行った時、八太郎兄に向かって 「兄さん、我々も泳ごう」と言うと 「いいや、俺はとても泳ぎ着けないから」43