桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み

桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み page 14/18

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概要:
桜島爆発の日

に漕ぎつけ避難民を上陸させると、すぐ二回目の運搬のため持木に向かい沖小島を漕ぎ出していました。その時、引ノ平権現が噴き上げたのです。この船の船頭は中村熊八、船主市兵衛の甥で、市兵衛は熊八を実の弟同様に世話している間柄でありました。市兵衛は村一番の財産家で人望も厚く、村会議員を務めその議長格でもありました。 この船では私の兄で七男の七蔵も脇櫓を漕いでいました。 五人の水夫は噴煙、噴石、稲光りを目前に見ながら、持木の残留者を運ぶため力の限り漕いだのです。この市兵衛船は島回り競漕用に建造した市兵衛自慢の快速船で、これより三カ月前、大正二年十一月の東西桜島の大レースで十七隻中三等になったこともある有名な船でした。 四丁櫓船も空船は速く(最高五ノットで走っていたそうです)、見る見るうちに燃崎の鼻にさしかかってみると噴煙が頭上に覆いかぶさり、噴石と稲光は船が直撃するかと思われたそうです。 書き遅れましたが、持木の三番目の野添金五郎船は丁度沖小島に接岸しようとする直前に噴火したので接岸を取りやめ、新八船と前後して谷山へ逃げて行きました。この様子を見ていた市兵衛船の水夫の一人が 「あら、あの二隻は沖小島を離れて沖へ逃げ始めた。我々の船ももうとても行かれまい、40