桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み

桜島爆発の日 大正3年の記憶 立ち読み page 10/18

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概要:
桜島爆発の日

と野元新八船と野添金五郎船の三隻で、船の長さが三十六尺(約十一メートル)ぐらい、船幅が七尺二寸(約二メートル)ぐらい、積荷の斤数が一万斤(六千キログラム)から一万二千斤(七千二百キログラム)ぐらいで満船でした。二隻の中型船は川ノ上孫市船で、船の長さは二十三尺(約七メートル)、船幅が五尺四寸(約一・六メートル)ぐらいでありました。 避難民の積載能力は、大型で八十人、中型で三十人、小型の釣り船は五人か六人が精一杯でした。どのようにしても、一回で村人を全部運ぶことはできないので、沖小島(持木の沖八百間=約一・四キロメートル)まで中渡しし、少し様子をみてみようとの協議がまとまりました。船に乗るため海岸には荷物を運ぶ者、子供を探す者、村中ごった返しておりました。 丁度、九時頃でした。南岳の頂上から白い煙の柱がスーッと中空高く噴き上がりました。これを持木海岸から見ていた人々は一斉に悲鳴をあげ、船に向かって走り出しました。荷物を運んでいた者は荷物はその場に投げ出して、船に殺到しました。なかにはまだ陸に揚がっている船に乗り込み、恐怖にふるえている女子供もありました。しかしこの白煙もしばらくして消えたので、これで地震もおさまるのではないかと言う者もありましたが、地震の上下動と地鳴り、山崩れはますますひどくなるばかりでしたので、先ず沖小島に向け36